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木造校舎を探して in 2014 〜第五弾〜


目次


清水町立安諦小学校沼谷分校
桜井市立吉隠小学校
桜井市立粟原小学校
紀北町立白浦小学校



* 全編読みたい人はそのまま下へスクロールして行って下さい。







○ 清水町立安諦小学校沼谷分校




 有田川町の山間、花園美里トンネルの旧道を駆け上がり、峠の分岐から号線ナンバーの無い道を更に奥地へと入っていくと分校跡はあるのだ。







 写真に映っているのは、講堂と思われるのだ。







 その講堂と思われる建物の玄関部分なり。






 たまたま鍵がかかっていなかったので失礼ながら中に入らせてもらったのだ。たぶん現在では集会所として使用されているような感じがしました。







 奥に舞台があるのが見てわかるのだ。







 講堂に隣接して、消防団の倉庫がありました。







 ですが、横から見ると、あらま!ちゃんと校舎らしき雰囲気が残っていますね。たぶん校舎の半分ほどを消防倉庫として再利用されているのでしょうね。






 分校跡を裏手から撮ってみました。左側に見える建物がおそらく校舎で、正面に見えるのが講堂なり。


 沼谷分校はネット上でも情報がほとんどなかったのですが、とあるブログでこんな事が書かれていました。
 「安諦小学校は明治5年板尾の阿弥陀堂に開かれた。その後34年に安諦尋常小学校と改名して、沼谷分校が出来ました。」
 ハッキリした開校年はこれではわかりませんが明治34年以降に沼谷分校が出来たという事だけはこの文面から伺えるのだ。



清水町立安諦小学校沼谷分校

開校年は未調査
昭和60年 休校
平成2年 廃校




2014年6月15日 撮影








○ 桜井市立吉隠小学校



 桜井市の R165 沿いにあるバス停「吉隠柳口」の所から分岐する道を駆け上がると、目的の木造校舎はあるのだ。


 ちなみに「吉隠」と書いて、「よなばり」と読むそうです。フツーに読めないですよね(笑)







 分岐した道を駆け上ると、写真のように平屋建ての木造校舎が現れるのだ。







 校庭から校舎へ向かう階段なり。階段の横には歌碑がありました。ボクはそっち方面は詳しくないのですが、モノの本によりますと、「降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養(いかい)の岡の寒からまくに」と書かれてあり、吉隠というところは今でも雪がきつい所で、雪よ降るなという意の歌なのだそうな。万葉集の一句だそうです。







 校舎は現在では避難所または公民館として使用されているようですね。






 表札には「桜井市立吉隠公民館」と書かれてあります。







 同じく校舎の様子なり。







 校舎の裏手なり。こちら側は木枠の窓が多く残ってありました。







  桜井市史からの抜粋によりますと、明治7年に創立、日進館といった。明治16年にこの地に移り、現存している校舎は明治17年に新築、明治41年、昭和35年に改築したという記録が残されている。昭和40年に廃校、初瀬小学校に統合されたとのことなり。


 写真はガラス越しに映した教室の様子なり。



桜井市立吉隠小学校

明治7年 開校
明治16年 現在地に移転
明治17年 校舎新築
昭和40年 統合により廃校




2014年6月26日 撮影








○ 桜井市立粟原小学校




 桜井市 R166 沿いにあるバス停「粟原」で分岐する道を下っていくと、次の目的の木造校舎はあるのだ。







 この写真は粟原のバス停から見下ろした近辺の集落の風景なり。






 分岐した道を下って集落の中に着くと、二宮尊徳像のある敷地を発見しました。






 二宮尊徳の読んでる本ってみなさん何が書いてあるか知ってますか?全国にあるほとんどの二宮像の本には字は書かれていないのですが、昔からある小学校の一部の二宮像には「一家仁、一國興仁、一家讓、一國興讓、一人貪戻、一國作亂。其機如此。 」って書かれてあるのです。


 あまりにも崇高なお言葉に意味を調べたにも関わらず理解すら出来ず、思わずスマホを貸してあげました。終始沈黙されていました・・・(笑)







 さて、二宮尊徳の後ろに広がる建物が目的の木造校舎なのですが、外観だけでは木造校舎であると確信性にちょっと不安があるのだ。







 ですが建物をよ〜く見回してみると・・・







 あっ!瓦に小学校の文字が!!!








 更にもう一段上の瓦には「粟原小学校」と刻字されています。これは間違いなく、かつての校舎ですね!!!






 

桜井市立粟原小学校

明治7年 開校
昭和38年 閉校

* 沿革は桜井市立城島小学校のホームページを参考にさせて頂きました。



2014年6月26日 撮影








○ 紀北町立白浦小学校




 尾鷲市の海沿い、北側にあるのが紀北町なり。合併以前の海山町といえば、更にわかりやすいのかも? その紀北町の白浦という漁村に木造校舎はあるのだ。いちおう休校扱いのようです。







 白浦の集落は海を挟んですぐに山があるので、敷地の確保にはきっと苦労したのでしょうね。木造校舎はそんな立地をうまく使って建てたのが訪れるとわかるのだ。校庭側からだと校舎の全景が見れなかったので、裏手の敷地に周るとどうにか全景を撮る事が出来ました。







 再び校庭側からの校舎の風景なり。白浦という地名に相応しく白い壁面が印象的でした。







 校舎の正面玄関付近の様子なり。







 玄関口はシャッターが閉まっていますが、頭上に校章があったのだ。そこには「桂城第二尋常小学校」と記されてありました。桂城って何が由来なのか気になったので調べてみると・・・


平成17年 紀伊長島町と海山町が合併により紀北町となる
昭和29年 桂城村、他2町1村が合併により海山町となる


 桂城村は明治30年から昭和29年までの57年間名乗っていた村名なり。その桂城村の尋常小学校時代に「桂城第二尋常小学校」と称されていたのでしょうね。







 校庭の様子なり。学校は少し高台のところにある為、校庭からは周辺の海が一望出来るのだ。







紀北町立白浦小学校

開校年は未調査
休校中




* 休校指定が現在も続いているのであれば紀北町立という事になるのでしょうが、海山町時代に既に廃校として手続きが済んでいるのであれば海山町立・・・というのが正しい表記なのかもしれません。しかしそれに関する文献が特に見当たらないので、ここでは紀北町立白浦小学校と記載している事をご理解ください。



2014年6月29日 撮影




おしまい







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